お盆玉なるものを流行らせようとしているらしい
お年玉のお盆版、それを”お盆玉”というらしい。そんな言葉を聞いたことが無いという人も多いのでは無いか。言葉から容易に想像できるが、今までもこの時期にお小遣いを渡す事は多かったが、敢えて”お盆玉”と言う事は無かった。
わざわざ言葉を流行らせ定着かを狙うのが、郵便局やイオンだという。景気策には効果はあるかもしれないが出費となる親に取っては余計なものだ。一方、帰郷した際に祖父からのお小遣いとしては口実ができて渡せるのは歓迎されるかもしれない。
最近は何かに付けて企業や政府がブームや習慣を作ろうとする風潮は好ましくないと思う。逆に今こそ昔あったが今はなくなった事を今一度見直すと言うことをやってみてはどうだろうか。
少子化対策は子育て世帯に優遇減税を、単身世帯に増税をすべき
日本の少子高齢化が止まらない。若干出生率の持ち直したがそれでも人口減の危機的数値であるのは変わりが無い。政府は将来の人口減にそなえ、移民の受け入れの検討に入った。
移民についての意見はいろいろあるだろうがここではいったん触れずに少子化対策について俺の意見を述べておこう。
現在に至るまで数十年に渡り政府、関係省庁は少子化対策をあの手この手で実施してきた。わざわざここで言うまでもないのは重々承知している。
しかし肝心要の課税の制度に玄関があるためいくら対策を打っても響かないのだ。ザルのように漏れまくって効果がでないのだ。
最も効果があるのは問題となっている箇所に増税し貢献している所を減税するのだ。税金の収支はトントンを保つよう設計・設定すれば良い。ただそれだけなのだ。
もちろん税の使い道の配分変更は今実施しているように制度仕組みの強化をすれば良いが、まずは子供が居ない世帯を増税とすれば良いのだ。国民は国の源である。
子供を生みたくても生めないという人もいるだろうがそれは仕方が無い。居ない事実はあるわけなのだ。そういった人は不妊治療に補助を出したり養子受け入れで減税対象にするなど制度で工夫は可能だ。
日本にとって貢献しているかどうか?の一貫した目線で物事を決定すれば分かりやすく筋も通る。あちらを立ててこちらが立たないという現状を考えると批判意見はあるだろうが国として間違いではない。
どんどん複雑化していく少子高齢化問題だが今一度シンプルに考え直す時が来ているのではないだろうか。
感動の押し売りほどウザいものはない
日本人は他人に対し優しい。自分の事よりも他人を優先に考えてしまうことだってある。そんな美徳が日本人の心奥深くにある。それが日本人みんなの誇りである。
しかしその優しさがビジネスに絡むと話しがややこしくなる。人の心はお金では動かないのだ。ボランティアとも少し違い、自発的に動いてしまうのが本来の人の優しさであり、ボランティアではきっかけはそうであってもいつのまにか義務になっていたり強制になっていたり違う形になってしまっていることも多い。
最も最悪でたちが悪いのがビジネスに利用された時だ。特にテレビ局が毎年行っている愛は何とかという番組はどうしても胡散臭い。主旨や考えには賛同するがやり方がダメなのだ。
ひと言で言えば感動の押し売りなのだ。
心で動こうとした瞬間に押し売りの現場を見かけると萎えて白けてしまう。なぜか障がい者が主人公になってがんばる姿が再現ドラマで紹介されたりするが、いや普段から大勢の障がい者はがんばっているだろうに。なぜこの人が?なぜこの日にだけするのなか?が疑問でしかならない。
もっと言えば障がい者の中にも悪い人もいるだろうに全員が善人のような取り上げ方が白けるのだ。普段から公平に扱っているなら敢えてこの日に長時間かけて取り上げる話題でもテーマでもないだろう。
最も典型的なのがマラソンだろう。今年はまだランナーすら正式に発表していないしなぜか毎年、フィナーレの時間に合わせゴールする。みんな分かっているんだから皆まで言うな。という意見もあるだろうが毎年わざわざする必要はあるのだろうか?
嫌なら見るなという意見は正解だ。俺は毎年見ていないしザッピングの時に目に入ったりネットニュースで見かける程度の知識だがいい加減、感動の押し売りにはウンザリしている。
日本人の優しさはわざわざこの日に24時間もかけて再確認する必要はない。日頃から教養ある番組を放送し凜とした国民性を維持するよう公共の電波を使った放送局、報道各社は強く意識していただきたい。
わざわざこうして記事に書いても今年も来年も同じように感動の押し売りは続くのだろう。悲しい事実である。
はてなブログにはなぜ良質ブログが集まるのか
はてなブログには良質なブログが多い。独自ドメインを利用している場合でもブログエンジンははてブロを使い続けている人が実に多いことに気づく。
その理由を探るには、はてなブログの前身のはてなダイアリーに遡る。知る人ぞ知る日記サービスだ。日本にまだブログという名前がまだ定着する前に登場したこのサービスは、日本人に自分が情報を発信できるという喜びを与えてくれた。
そうはいっても当然、既に同様のサービスが存在していた。それにも関わらずはてなダイアリーに良質なライターが集まったのはなぜか?
それは「書いていて心地がいい」という点が最も大きな理由だろう。
これが文章を執筆する上で最も重要な要素だ。はてなダイアリーはその名の通り、はてな社が開発した日記システム、ブログシステムだ。はてな社ではこの他にもはてなフォトやはてなブックマークなど、日本で第一人者となるサービスを多く開発した技術集団だ。
多くのユーザーはそのシステムに惚れ込み愛用した。そんなはてな社が作ったはてなダイアリーも当然快適なものであった。文章を快適に書く工夫が随所に盛り込まれていた。はてな記法と呼ばれるMarkdownに似た記法も利用でき、執筆の効率を飛躍的に向上させた。
ブログシステムとしても当時で既に完成していた。テーマの入替やサイドバーのカスタマイズなど実に使いやすいシステムであった。
時代は流れ気づけばブログは一般的になり周辺サービスはよりリッチなテキストエディタなどを搭載しUIが洗練され初心者にも敷居が低いものになってきた。しかしはてなダイアリーは前述のような歴史があり、玄人受けするが素人受けしないシステムになっていた。ダイアリーという名前も不利な条件になっていた。
はてな社は大きな賭に出た。サービスのエンジンの刷新だけにとどまらず、新たなブログサービスを立ち上げたのだ。UIやブログエンジンは最新技術が取り入れつつ既存のダイアリーの記法等は利用できるシステムにした。
しかし最も問題なのは旧ダイアリーユーザーがはてなダイアリーに移転してくれるかという問題だ。これもはてなブックマークの引き継ぎとURLのリダイレクトによって数年間という長い時間をかけていねいに移行を進めた。
こういったすべての点においてはてな社の戦略は一貫性がありユーザーの厚い信頼を受けたのである。
はてなダイアリーの良質なブログをよりスタイリッシュでブログ執筆が楽しくなるはてなブログへ移行を成功させ、一方で新規ユーザー、ライトユーザーも着実に取り込みに成功した。良質なコンテンツが集まるブログサービスといった印象は良質なブロガーを集める効果もある。
こうしてはてなブログは良質なコンテンツが集まるという図式ができあがったというのが俺の見解だ。これからもこの流れは当面続くだろう。今後も良質なブログが集まることを期待したい。