差別をしない事と優遇することは違う
「○○差別」はいけない。と言われるがいつも気にくわない事がある。それは差別をするな、と主張する反面で優遇しろと言っているように見て取れる部分があることだ。
これは何と特定することなくすべてにおいて感じる。差別をしてはいけないのは当然だ。しかしその他多数側の人間を差し置いて優遇するのはまた違う。それは逆にその人を特別視し差別していると言えるだろう。
なぜか差別されることに文句は言うが、一転優遇されると文句を言わなくなる。これっておかしい。差別は駄目なんでは?それならイーブンまでにしようよ。俺はそう思う。
200記事を達成
2017年2月に開設した当ブログだが、2月は怒濤の如く記事を投稿していて、100記事に到達するのに1カ月もかからなかった。
100記事を達成したときの記事は以下。
その後、更新頻度は鈍化したが細々と記事を更新してきた。俺の感じる事を吐き出せる場所として重要な場所である。
8月にはてなに移転し再び更新頻度は上向いた。独自ドメインで運営していたときよりも文章を書きやすく、閲覧してくれる人も多いという事情もある。”見てくれている”という実感がモチベーションにも繋がる。
このブログは情報発信を目的でコミュニティを求めるために開設したものではないので、アクセス数は重要ではないがやっぱり多少なりともアクセスがあった方が楽しいというのは事実ある。
これからも俺の本音を書き綴っていく予定だ。
ちょっと雑談
俺の本音をつらつら書くだけのブログだが、普段から不満だらけというわけではない。毎日が楽しかったり嬉しかったり。日本人の素晴らしさを感じてホッコリする時があったり。
今回は特にテーマ無く雑談を書こうと思う。
俺は最近はテレビをリアルタイムで視聴することはほとんどなくなった。録画したビデオを視聴するのも屋外で見られる装置を使っているので家のテレビである必要はないし、Huluなどのオンデマンドでドラマや映画を楽しむ事も増えた。
最近は民王や過保護のカホコというドラマにハマっている。昔は日本のドラマは好きでなかったが、歳を取ったせいかホームドラマは特に弱くなってきた。感動シーンで気づいたら涙していることも多々ある。
もちろん海外ドラマもよく見る。重いストーリーものが多いので疲れたら日本のドラマに戻るといったように行ったり来たりしている。実はまだ韓流ドラマを見たことがないので一度見てみようかな、と考え中。
いくら時間があっても足りないなあ。
VALUのヒカル氏の売り抜け問題について斬る
株式市場を模倣したVALU。今年5月より運営開始したサービスで人に対し投資対象としたユニークなサービスである。投資といってもクラウドファンディングではなく株式と同様価値が上がった時点で売却すれば利益を得ることができる。
今回問題になっているのは優待を付けると思わせぶりをし購入を煽り連日、ストップ高を記録。「明日動く」とツイート後に関係者が売り抜け、自身も売り抜け5,000万円以上もの利益を得たという点。
そもそも、インサイダー取引ではないか?という声に関しては、VALUは該当せず成立は不可能である。次に出たのが詐欺行為である。
これに関しては、優待の有無が重要になるだろう。実際に売買を行う時点で掲載はなかったと言えど優待を期待させ購入のきっかけになったかどうかが重要である。
また、利益を得た事に対して批判が集中したことで買い戻しを決定したが損切りした人の損失は補填しないままなのも問題であろう。そもそも優待を言っていないのであれば得た利益は正当なものであり買い戻す必要は一切ないのである。
買い戻しの説明であるたかだか数千万円の利益のためにというならばなぜ始めに高値の時点で売り抜けたのか?まったくつじつまが合わないと感じるのは俺だけだろうか?
この件についてはしばらく目が離せない。
今回ばかりはさすがの北朝鮮も引いたがカードを1枚失った
北朝鮮が引いた。グアムへのミサイル発射を予告したが米国の本気の反応にこれまで無謀な反応を繰り返してきた北朝鮮もさすがに引いた。
もし実際にミサイルをグアム近辺に撃ち込んだらどうなるのか?
答えは明確だ。日本に対する挑発で弱腰外交の日本に慣れたのか北朝鮮は米国に対して超えてはならない線を越えそうになり土壇場で気づき方向修正をした。
この決断は評価したい。北朝鮮の国民が少なくても犠牲になる戦争は何としても回避しなければならない。
ただ、北朝鮮は今後も挑発と核をカードに強気の交渉をするだろう。今回の米国の本気度を見せつけられどこまで引きながら交渉するのか?本当に戦争になれば一番困るのは北朝鮮であるのは自身も知っているはずだ。
今回は引いたがカードを1枚失った形になった北朝鮮。次の出方に注目が集まる。8月21日に予定される米韓合同軍事演習が次のポイントであろう。
全国各地で祭りの人手不足は深刻化しているようだ
前回の記事で、全国各地の祭りで人手不足が深刻化いるがそもそも、存続の意味があるか?を含め再度検討をした方がいいという主旨の内容を書いた。
その後、いろいろとネットの意見を見てみると祭りの参加を義務化し欠席なら罰金という地域もあるという。もう本末転倒もここまできたかとただ呆れるだけだ。
人が集まらないなら、祭りが必要とされていないという現実だけである。それを前提に前向きな考えをしてもらいたい。
存続在りきではなくこの先どうするか?である。
参考にしたサイトを以下にご紹介しておく。どこも大変な事になっている。
日本全国で忍者不足が深刻だという。祭りのやり方も変えたらどうか?
日本全国で忍者が不足しているというニュースを目にした。現代に忍者なんていねーよ。という思いがまず立ち、記事を読むと忍者ショーの役者がレッスンがキツく耐えきれずに辞めてしまい、役者を確保困難になっているという内容である。
この記事はタイトルの付け方で勝ったと言えるが実際に他の業種でも人材不足は深刻である。昨今はあまり耳にしなくなったが、3Kと呼ばれる業種は今後は人材確保に苦労するようになるだろう。
この根本原因は少子高齢化があるが人口の分布も大きな原因があるだろう。仕事があっても人が居ないというのが現状の大きな問題である。この問題は仕事に限らず、地域の祭りにおいても人材不足は深刻化している。
若者は都市部に移住し昔からの土地には老人ばかりになり祭りの主役、青年団が集まらない地域が増えているのだ。歴史ある祭りだから無くせないという事情があるらしく、よその地域から人を呼ぶところもあるようだ。いやいやそれでは本来の目的からズレているし。
いくら歴史ある地域の歴史ある祭りであろうとも現状、青年団が集まらないのならそれも新しい歴史の1ページではないか?人手不足のため自治会から無理やり役員が召集される事も日常茶飯事。
だんだんとおかしな方向に進んでいる地方の祭りは数多くある。本来祭りの目的は何だったのだろうか?健康、豊作を願うとかでは?そもそも農業で生計を立てている人ってどれほど居るのか?地域に生きる人々の健康を祈るなら祈りたい人だけで祭りを運営したらいいのでは?
なぜ一部のやりたい人のために嫌々参加を強要させられボランティアで祭りを支える必要があるのか?存続させたいのなら運営の人材に報酬を支払い見合った仕事をしてもらう方がよっぽど健全だ。今や自治会や村の集まりほどブラックな集団はない。
地震や災害などの際に助け合うために自治会に入っているという人もいるだろう。その一面はあり大切であることは事実であるが祭りになると、やれ伝統を盾に何でもまかり通るのがはなはな疑問で納得がいかない。この問題点はそろそろ表面化してもいい頃だと思う。